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資料室 《T》
『太極図』

    一から二へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


万物は始源の存在“太極(太一,太乙)”から生じたとが永遠に繰り返す交代の中で調和を保ちながら存在する、とみなす中国古来の宇宙観を表現した回転対称図形。 (宇宙 ─ =空間,space =時間,time ) 

始まりも終わりもない無限の時空(太極)を円で表わし、その無限の時空が陰(女性原理♀、影、−、)と陽(男性原理♂、光、+、)の二つの原理で分かれ、陰が極まれば陽に変わり陽が極まれば陰へと変わる。二つの小さな点は極みに達しようという時内部に生まれた反対の要素の胚である。
このように相互に作用しあいながら絶え間無い変化(change)と循環(revolution)の中で生成と発展を繰り返す。

重要なのは“変化”ということである。この宇宙観は「易」の思想に基づいているが、『易経─I Ching』は『変転の書─The Book of Changes』と的確に表現されて欧米に紹介されている。かえって易占い、易者といった表層的な知識があるばかりに日本では「易」の本質が理解されていないのではないだろうか。

「易」という文字はトカゲを側面から見た象形文字で、上部の日はトカゲの頭部、下部の勿は足と尾であるという。 ─『説文解字』
(たいらにへばりつくやもりの特色に名づけた「やもり+彡印(模様)の会意文字」とする意見もある)
ある種のトカゲは体色を一日に十二回も変えることから、易という字は「変化する」という意味をもつようになった。

「易」という名称には 1.変易─変わる 2.不易─変わらない 3.易簡─簡単=simple  と三つの意味が定義されている。あれでもありこれでもありまたそれでもある、つまり絶対という固定はないのだ。

──世界は絶え間なく変化(変易)する。しかしそこには一定不変(不易)の法則が貫いている。その法則は、陰と陽との対立・転化という平易簡明(易簡)=simpleな形式で表わされる、ゆえに森羅万象にあてはまる。易とは、万物の変化の中に不変の理=道=自然の摂理があるとする思想である。

核となるのは陰陽二元論であり一種の二進法であるが、二元は絶対的なものではなくあくまでも相対的である。  
           
  ── 現在のコンピューターは0と1との二進法を使っている。この二進法とは異なった発想の次代のコンピューターが出現するだろうか?
 

   二元思考 『淮南子』にある「塞翁が馬」の寓話はよく知られるところだが、福と禍とは無限に転変していくという思想があらわれている。

相対的な二元思考は漢字にもうかがえる。
「離」には、はなれるという意味と共に“付着”くっつくという意味もある。「帰」には、かえるという意味と共に行くという意味もある。「終」には、おわりという意味と共にはじまりという意味もある。「乱」には、みだれると同時に治める、ととのえるという意味がふくまれている・・・ 一つの文字にまったく相反する意味が含まれているのだ。明かに矛盾とみえても視点を固定せず相対的にみるならば矛盾ではないのである。

中国においては道教と儒教という二大思想の存在が陰陽の構造をなしている。太極図に冒頭に述べた哲理的解釈を与えたのは十一世紀の新儒教派(宋代儒学)である。道・儒と対立しながらも根本の発想は共有している。つまりは一から生じた二極なのである。
「儒教は大いなる肯定であるが、道教は大いなる否定である。儒教が都市の哲学であるのに反し、道教は農村の哲学だ。儒教は現実的だが、道教はロマンチックである。儒教は鬼神を遠ざけるが、道教は神仙を語る。」

─林 語堂
 
   二元志向 中国の文物に触れるとき『対』の表現が強く印象づけられる。喜を二つ並べた「喜喜」は縁起の良い文字としてよく使われる。ちなみに大吉(dai ji─タイチー)と太極(tai ji─タイチー)は語呂あわせになる。対聯には対句が書かれて門の両側や室内に飾られる。クリスマス・カードに印刷されている文言すらさりげなく対句になっていたりする。故事成語をみても“南船北馬”“晴耕雨読”“朝三暮四”と二元構造になっている。

朱に交われば赤くなる、は日本語に組み込まれているが、もとになったといわれるのは
<近朱者赤、近墨者黒>朱に近づけば赤くなり、墨に近づけば黒くなる
現代中国語では表現が変わって使われ
<挨金似金、挨玉似玉>金とつきあえば金に似、玉とつきあえば玉に似る

いずれにしても対句になっている。これは思考法と共に中国語の音感、リズムとも関係しているのだろう。
中国の詩は、時代によって形式は変わりながらも対句は重視された。

詩の隆盛をみた唐代のエピソードを一つ・・・
劉庭芝〔希夷〕(651〜679?)の『代悲白頭翁』の詩の中に
<年年歳歳花相似、歳歳年年人不同>時が流れて花はまた咲く、時が流れて人は去り行く
という名句がある。舅の宋之問にその一聯を譲れと言われて断ったところ、怒った之問は手下を使って劉庭芝を土嚢で圧殺させたという。


 
左右対称性 symmetry
成都 文殊院
北京 頤和園
門の両側に貼ってある白い紙が対聯。
ちなみに境内でバクチをやるなと書いてあった。門をくぐると人々が楽しそうに麻雀に打ち興じていた。
白壁にくりぬかれているのはすべて対称図形。
北京 故宮大和殿前
   二から三へ
対称軸上に第三の極が出現
成都 武侯祠
文殊院
門柱の両側に対聯、上部に扁額。 対聯と扁額の配置、あわせて左右対称性もはっきりとわかる。


 
 
 
 
 
 
 

  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

天はエネルギーを放出し、地はそれを受け入れて、万物が生み育てられる。
男と女の精は一体となってこそ、新しい生命を生む。
あらゆる事物は、孤立して存在するものではなく、必ず対(つい)になるものがあって、相互に作用することにより新しいものを生み、発展する。
これが易の弁証法的宇宙観である。

ヘーゲルのテーゼ(正)、アンチテーゼ(反=対立物)、それをのりこえてまとめあげるジンテーゼ(合=止揚 綜合)に似ている。しかし易の弁証法は、一年は四季、一日は昼夜という自然現象の永遠の繰り返しと循環に従う、調和を求めて循環過程をたどる肯定的な弁証法である。
永い時間をかけた徹底的な自然の観察、徹底的な人事の観察から導き出された哲学なのである。

「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」

老子『道徳経』 

 三という数字にたどりついた。三元・三極・三才(いずれも天・地・人=万物のこと)、三省、三章、三宝、三顧・・・三を戴いた語は多い。
《三》を聖数ととらえるのは古今東西の世界の民族にみられるところである。三の次は東西南北の《四》、五行の《五》と際限なくなるが、数字に仮託された各民族の発想を知るのに絶好の書を挙げておく。

参考:『暦と占いの科学』 永田 久著  新潮選書
世界各国の数字に関わる発想・思想が簡明に語られている。迷信と一蹴されてしまいそうな数の信仰への明晰なアプローチが興味深い。

    
「宇宙に描かれた壮大な書物は幾何学や数学の言葉で書かれている」

─ガリレオ・ガリレイ 
 
   理論物理学 量子力学の創始者の一人である理論物理学者ニールス・ボーアは、デンマーク最高の勲章を受け爵位に叙された際、王城内に飾る家紋としてCONTRARIA SUNT COMPLEMENTA (対立するものは相補的である)という文字と共に太極図のデザインを選んだ。
1937年中国を訪れたおりに知った太極図に象徴される宇宙観に、自らの相補性理論と相通じるものを感じ感銘を受けたからといわれる。
 

日本人初のノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹博士は、著作のなかで繰り返し荘子に言及しておられるのが印象的である。
参考:『科学者のこころ』 湯川秀樹著 朝日選書
     『創造的人間』   湯川秀樹著 筑摩叢書
『荘子』内篇応帝王篇第七に登場する南海の帝王シュク(あわれにもこの漢字をコンピューターは変換できない)と北海の帝王コツ(忽)を素粒子とみなし、中央の帝王コントン(渾沌)を二つの素粒子を受け入れる時間・空間と解釈可能であることなど─古代中国の思想と物理学の発想との共通性について博士自身驚きと興味をもって語られている。
 

    C.G.ユング 東洋思想、ことに易・道教との出会いが心理学の業績に新しい展開をもたらした。
参考:『東洋的瞑想の心理学』 C.G.ユング著 湯浅泰雄・黒木幹夫編訳 創元社
東洋思想に関しての主要論文集。“易と現代”のなかで解説と実際に占っての解釈を読むことができる。
 
ヘルマン・ヘッセ 東洋(インド・中国)思想に関する研究を作品に結晶させた。
参考:『ガラス玉遊戯』 井出賁夫訳 角川文庫
西洋と東洋の叡智の綜合。

付記:『シッダールタ』 高橋 健二訳 新潮文庫
有名無名の仏像が何故微笑んでいるのか? と常に抱いていた疑問に答えを与えてくれた。
 

        

 
   道教 TAOISM 中国・成都の諸葛亮を祭る武侯祠で買い求めた孔明人形。
“三顧の礼”によって劉玄徳陣営に招かれたという諸葛亮孔明は三世紀三国時代の蜀の丞相(首相)。
 羅貫中の『三国志演義』吉川英治の『三国志』に登場する孔明は、時に神仙のごとき神秘的な活躍をする。正史『三国志』の諸葛亮伝には全くそういった記述はない。
 民間に流布するみやげ物となって衣冠に太極図と易の卦を描かれたのは、後世の人々の尊崇と敬愛の念とが親しみを込めて表わされたものとみる。
 

 
 
 
 
 
 
 

 

道教(Taoism)は中国の永い歴史のなかで、民間信仰・巫祝(ふしゅく)・神仙説・風水・陰陽五行説・易 etc.老子荘子の道家の思想─道教の神学を構成する哲理的根拠となった─も吸収して混合集大成して完成された宗教である。儒教・仏教といった、対立する思想宗教とも影響し合いながら根強く存在している道教は中国の大地から生まれ育った宗教といえる。

参考:「イメージの博物誌9 タオ 悠久中国の生と造形」 
    フィリップ・ローソン&ラズロ・レゲザ著 大室幹雄訳 平凡社
言葉だけでは伝達不可能な領域をイメージは伝えてくれる。図版が多いので未知の道教空間を誌上で楽しめる。さらに知的好奇心によるもどかしさを覚えたならば、訳者解説の中に登場する金髪青年のようにひとり中国を歩き回るのが一番良いだろう。風土から離れたとき宗教は既に異質の展開を始める。      

日本人は「道」という漢字を「みち」「どう」と読むためイメージの限定に陥っているのではないだろうか。 中国、中国文化と向き合う時、漢字を一応読めてしまうためにそれだけで理解できたと錯覚する落とし穴がある。読める・認識できるからといって理解に結びつくとは限らない。
「TAO(タオ)」と読んだ時に、「みち」「どう」と読んでいるときとは異なった精神文化が存在していることに気づいた自身の経験から強く感じたことである。

参考http://www.clas.ufl.edu/users/gthursby/taoism/

 

   道教と日本 道教は古代日本において仏教のような伝来の仕方 ── 国家による僧の招請往来、経典の請来、寺院建立など ── が無かったため教科書的日本史に表立っては登場しない。しかし中国において仏教と対立影響しあっていた道教が、先進大陸文化の導入に貪欲であった当時の日本に知られないはずがなく、道教に視点をおいて日本歴史・精神史を検証すれば多大な影響浸透がみられるのである。
奈良末期から平安期には陰陽五行説から日本独自の陰陽道の展開をみたが呪術禁忌方術といった面が強調されて、大地と自然に密着した壮大な宇宙観はすっかり欠落してしまった。東海の島国と人々はそれを必要としなかったと言うべきか。

参考:「道教と日本人」 下出積與(しもで せきよ)著  講談社現代新書日本にとって道教がいかに多大な影響を及ぼしてきたかがよくわかる。
 


 
 タオイズムの表現
  ─陰と陽─
京都 鹿苑寺(臨済宗)
立て札には“鯉魚石”“龍門瀧”とある 角度を変えてみたところ
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